悲しいお別れ
ちょうど2年前の今日、娘の小学校のクラスメイトのお母さんからライングループに投稿がありました。
クラスメイトの一人の男の子F君が、意識不明の重体で病院に運ばれたので、時間が取れる人は病院へ行って声をかけあって目を覚まさせましょう・・・ということでした。
それは、テコンドーの練習中の出来事でした。
ちょうど学校は前期と後期の間の休み中で、娘は学校の寮から戻ってきていて自宅にいました。
そのころは毎日、私の職場の近くにあるDVDで講義を受けられる塾に通っており、仕事が終わる時間まで友達と一日中そこにいたので、仕事が終わってから病院へ駆けつけようかと思っていました。
そして、仕事が終わり、娘を迎えに行ってこの話をすると、娘は既に知っていました。小学校のクラスのグループメッセンジャーで知ったとのことでした。
病院へ行こうとしたのですが、娘は心の準備ができておらず、明日でもいいかな・・・と翌日に行くことにしました。
F君とは、男の子だったし特に親しかったわけではありませんが、4年生から6年生まで同じクラスで一緒に頑張ってきたお友達、やはり14歳の娘にとっては衝撃的なことだったでしょう。
翌日、小学生の時に仲が良かった友達Bちゃんと一緒に病院へ行くことにしました。B ちゃんは、F君とは地元の中学・ポーウォーでもまた同じクラス。娘とは久しぶりの再会ということもあり、二人はあまり会話することはなくなっていました。
病院へ着くと既にF君とBちゃんのクラスメイト達、もちろん小学校の時のクラスメイトの男の子たちなど、多数がいました。
Bちゃんのクラスメイトの中には、同じ塾に通っていた女の子も数名いて、娘とは顔見知り。でも、娘はその輪の中に入ってはいけず・・・中には、話しかけてくれる子もいたのですが、なんて話していいのかわからないと戸惑っていた娘です。
さて、その友達たちは既に面会を済ませていて、私たちは順番を待っていました。
待っている最中に、F君のお母さんを見かけましたが泣き続けながらも希望を持ち続けて一生懸命力を振り絞っている、そんな感じでした。
そんな中、数名の女の子たちが泣きながら部屋から出てきて、それを見てまたBちゃんと娘は言葉を失い・・・いよいよ私たちの番になりました。
ベッドに横たわるF君、その横に付き添っているお父さん。太いパイプが口の中に入っていて聞こえるのはピッ、ピッ、ピッ、という心拍数の音。
大人の私ですらその状況を目の当たりにして涙をこらえるのが必至なくらいでしたから、娘たちにとってはかなりつらかったことでしょう。
お父さんに挨拶してからF君のそばに行き、声をかけ、娘たちにも近くへ来てなんでもいいから話しかけてごらん、と言ったのですが、二人とも動けず、声を発することもできませんでした。
他にもまだ面会を済ませていない友達もいたので、あまり長い時間かけてはいられず、部屋からは出ることにしました。
私たちはこの1回だけしか病院へ行くことはできませんでしたが、仲の良かった男の子たちは毎日毎日、話しかけに病院を訪れていました。
また、最初の一方を知らせてくれたお母さんも毎日2回は通って、F君に話しかけるだけでなく、憔悴しきったお母さんを励ますために時間のある限り通い続け、情報をライングループに書いてくれていました。
でも、そんなみんなの願いも届かず、F君はその2日後、帰らぬ人となってしまいました。
その日のうちに、F君の眠った棺はお寺へ移され、夜にヨットナームという儀式が行われるということで、仕事を終えて塾に娘を迎えに行ったその足でお寺へ直行しました。
私たちがお寺へ着くと、もう知っている顔がたくさん、皆、F君の到着を待っていました。小学校の時の先生たちも駆けつけていました。しばらくして、F君が到着し、厳粛に儀式が始まりました。
火葬までの6日間、一日だけ行けなかったけれど、その日以外は毎日娘と一緒にお寺へ行きました。多くの友達、学校の先生、皆、毎日お寺で顔を合わせました。娘たちにとっては悲しい同窓会のようでした。
棺の傍には、いつもお線香を渡してくれる男の人がいました。テコンドーの先生です。テコンドーの先生は、思えば、病院でも、病室の前にシートを引いてずっとそこにいました。多分、泊まり込みしてたんだろうと思います。
お線香を渡してくれる時、無口で毅然とした態度で誰にでも接していたテコンドーの先生。
そして、最後のお別れの日、火葬。
これまで、一生懸命に訪れる人たちみんなに挨拶をして、お話してたりしたお母さん・・・棺を火葬する場へ移動させる前くらいから椅子にもたれかかって呆然と泣きじゃくる姿、それを支えているお友達のお母さん・・・見ていてとても辛かった。
F君のクラスメイトと先生に囲まれ、泣きながらもみんなに何かを話しかけていました。
でも、私にはもっと忘れられないことがある・・・
それは、テコンドーの先生。毎日お見かけしていた時は、さきほども書きましたが、無口で冷静に教え子たちに指示をだしたり、本当に気丈なふるまいをされていました。
でも、火葬のための儀式のため、皆が席に座り、そして儀式が始まり始めると・・・
席の最前列から一生懸命声を出さないように、泣かないようにという強い思いが入り混じった心の叫びともいうべきか、何とも言えない泣き声をのどに詰まらせたよな声が聞こえてきたんです。
そう、テコンドーの先生でした。
やがてその声はもう自分でも制御不能なほどの大きさになり・・・
あぁ、これを嗚咽と言うんだろうなと思いました。
毎日ずっとF君のそばにいて、片時も離れることなく・・・本当に辛かったことでしょう。練習中の事故とは言え、かなりの責任を負っておられたのだと思います。きっと最後まで気丈に振舞うつもりだったのでしょうが、その糸が切れてしまったんでしょうね。
その姿、声を聞いているだけで、周りの人達、皆もらい泣き。あんな泣き姿、これまで生きてきた中で初めてです。映画でも見たことありません。
先日、娘のワクチン注射で接種会場へ行った際、F君のお母さんが受付のお手伝いをしていました。でも、忙しそうだったしマスクもしてたし、声は掛けませんでした。
たった2年前の出来事ですが、あの頃に比べてみんな大きくなったもんです。
私にとってのF君の印象は、控えめでスポーツマンではにかみ屋の優しい子。
生きていたら、どんな高校生になっていたのかな。
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