娘の中学時代を振り返って 本篇2
新入生のオリエンテーションが終わった後一次帰宅した娘は、新たな気持ちで寮へ戻っていきました。
そして、いよいよ、本格的な学校と集団生活がはじまりました。親としても実際に見えないだけに、かなり不安な毎日となったのですが、なんとか様子がわからないものかと、娘の友達や先輩と直接知らないくせにフェイスブックやインスタグラムで友達になって、学校生活の盗み見に成功し、徐々に実態が明らかになって行くのでした!
学校での生活
起床時間は4時から4時半(中2では5時)という生活にも徐々になれ、一度シャワーをしてから二度寝するということもできるようになった娘。
他のクラスの友達も増え、食事の時間も相席で楽しみながら食べられるようになりました。食堂の座り方、実は決まっていたそうです。一つのテーブルで10人位座れるほどの大きなステンレス製のテーブルが6列にわたって置いてあるのですが、それぞれ、学年ごとに列が決まっていたということでした。
ちなみに、おかずは毎食だいたい4種類くらいあるビュッフェスタイルで、辛い物からそうでないもの、また、フルーツやタイデザートもあったりします。
それでも、保護者からはクレームが出ていましたが、娘はおいしいと言っていました。
朝食を食べて学校へ登校し、全学年の合同朝礼が始まってからは、忘れ物があったとしてももう寮へは夕方まで戻れないそうです。
今どきの中学生・高校生はフェイスブックよりインスタが主流で、それまでインスタなんて興味なかった私ですが、もう、毎日チェックです。娘はあまり頻繁には投稿していませんでしたが、先輩や友達の毎日おもしろおかしい映像の数々で、私まで笑ってしまうようなものばかり・・・楽しそうで安心です。
中には、教室の前にある長椅子や教室内の床に寝転がって本気で寝てしまっている子たちの映像もあったりしました。
毎日宿題が多くて寝る時間が深夜12時を過ぎてしまうのに朝超早く起きなければいけないので皆睡眠不足なんですね。
ついこの間まで小学生だった、まだまだ幼い子供たちですから、さぞかし大変な毎日だったことでしょう。でも、オンラインゲームのやりすぎという子もいたそうですが・・・
放課後
各教科ともに、中間試験までの間に2回、期末試験までの間に2回の合計6回のテストがあり、それぞれ定められている合格点に達していない子たちは、放課後に補習授業を受けなければならなかったので、好きなことをする時間が減ってしまいます。
娘は社会が達していないときがあり、補習授業をときどき受けていました。
でも、基本的には授業が終わってから夕飯までの空いた時間帯では、バスケットボール、フットサル、ジョギングなどをする子もいれば、ギターを弾いたり、ただ友達とおしゃべりをしたり、携帯電話で遊んだり、時には夕寝などそれぞれ好きなことをしていたようです。ただ、夕飯までには必ずシャワーを終わらせておかなければならなかったそうです。
夜
寮での夕礼の後は、1階にあるホンスタディと呼ばれる勉強部屋に先輩たちもみんな集まっていました。ここは唯一寮でクーラーがある場所なんです。
この部屋には大きなテーブルがいくつもあって、そこで友達と一緒に勉強したり、グループワークをしたり、遊んだり。先輩と一緒の部屋にいても、この部屋では怖いルールはさほどなかったようで、皆のびのび。
ここでも、床に座り込んだり寝っ転がったりしている子もいました。中には部屋に戻ると暑いし、先輩いるし・・・で、そのままそこで寝てしまう子もいたそうです。
この時間、育ち盛りの子供達はお腹がすいてしまうので、学校の売店で売っているお菓子を買って食べてしまい、中学生になってかなり太ったという子も続出。
学校の売店で売っているものでは物足りず、娘からのリクエストで色々なお菓子やインスタントラーメン、インスタントおかゆなどを買っては頻繁に送っていました。
男子は、自分の下着や靴下をため込んで洗わない子もいるようで、そういったものを郵便で送ったりする親もいたとか。
また、この時間は、体育祭時の応援合戦用の練習をしたり、ソーウォーオーノー(中学生・高校生用の国際理数オリンピックに向けての選抜試験)の一次試験に向けての先輩による講義などにも使われたようです。
もし、このホンスタディにいたくない時は自分たちの部屋でベッドの上に小さな机を広げ、そこで勉強したり遊んでいたり。でも、就寝時間の後は部屋の電気は消されてしまうので、ミニライトにタオルをかぶせ、明かりが他の人の睡眠を妨げないよう気を付けながら勉強していたそうです。
珍しい子
初めのころ、娘は学校の中でもちょっと目立った存在らしく、恥ずかしがり屋の娘としては非常に嫌だったようです。というのも、日本人とのハーフであるという理由からです。
プーケットでは、ハーフなんてどこにでもいるので、どこに行っても特に違和感なしで普通に過ごしてきました。学校には、外国人とのハーフがたくさん、それだけじゃなく、ヨーロッパ人やアメリカ人をはじめ、ロシア人、ネパール人、中国人、韓国人、ミャンマー人、日本人などもたくさんいました。さすが国際色豊かなプーケットです。
あえて言えば、学校や親同士の方のおつきあいで私の方が大変でしたが、幸い、娘の小学生のときのクラスでは一番親しかった子のお母さんが英語のできる人だったので、わからない時とかはそのお母さんに色々と教えてもらえました。
ところが、娘の学校では、ハーフが誰一人いなかったんです!しかも、トランではかなり珍しかったのか、学校中で日本人が中1にいる!という噂が広まり(日本人と言ってもハーフなのに)、その噂を聞きつけた先輩たちが物珍しそうに自分を見に来ると言っていました。
クラスの友達からも本来のあだ名ではなく、ときどき「イープン」(日本)とからからかわれたようですが、これも次第になれて今では全く気にしなくなりました。
私の方はというと、小学校の時のように英語で助けてくれる保護者がいなくて、ラインでの会話を翻訳機にかけなんとか理解するように。でも、お陰で読もうと思わなかったタイ語を読まねば!と自分で努力して、今では翻訳機に頼らなくても半分くらいは読めて理解できるようになりました。
友達関係
クラスメイトたちの環境がだんだんとわかってきたのですが、もう凄いの一言・・・。
親が医療従事者や学校の先生という人が多く、それだけでもかなりの驚きでしたが、お兄さんやお姉さんも同じPCSHSトラン校に通っていたり、中学卒業した後、高校はタイの御三家(マヒドン・ガムヌアットウィット・トリアムウドン)や士官学校、また、大学は医学部に通っていたり。
娘は運よくこの学校に入学できましたが、同級生たちはかなりの秀才だし、小学校の先生からも大変だよとわ言われていたので覚悟をしていたものの、この環境には唖然としました。
まあ、娘には最初から、みんなについていけるように頑張ればそれでいいよと言っておいたのですが、果たしてついていけるだろうか・・・と勉強面に関してはかなりの不安でした。
次第に学校に慣れてくると、友達関係も複雑になり始めました。24時間一緒にいるわけなので、色々と問題が発生しました。しゃべってくれないとか、自分だけ嫌われてるとか、女の子特有の問題。
中1の後半からは、だんだんとその問題が大きくなってきて、泣いて電話がかかってきて、家に帰りたいと言い出したり、考えすぎて勉強に身が入らなかったりとか。離れているだけにとても心配だったので、できるだけ娘に会いに行く機会を設けていました。
そんなだったので、それまで仲良くしていた友達から離れ、新しい友達と接するようになりました。クラスは違うけれど、プーケット出身の子が4人、ラノン出身の子が1人の仲良し6人グループです。(でも今では問題があった友達とも元の関係に戻り大丈夫になりました)
私の方も、この娘の新しい交友関係のお陰で、そのお母さんやお父さんとの新しい関係を築くことができました。特に、家と学校の往復面で、ミニバスを手配して子供たちが一緒に戻ってきたり、また、保護者会へ行くときにも一緒に行ったりと、時間やお金の節約がかなりできるようになり助かりました。
先輩・後輩関係
長男のママ友からは高校生になると、「バディ」とか、「ピー・ラハット」「ノーン・ラハット」というのがあるって聞いていたんですが、これは、言い方が悪いかもしれませんが自分専用の同輩・先輩・後輩っていう感じでしょうか。これが、中学生からあったんです。
- 「バディ」
学校で勝手に決められるそうですが、娘は同級生が相手で特に何もなかったということです。長男の場合は、一つ年上の男の先輩だったらしいですが、長男も特に親しかったわけではなかったです。人によっては、その人(先輩・後輩)と一緒にご飯を食べに行ったり、相談したりとか、そういう存在らしいです。
- 「ピー・ラハット」「ノーン・ラハット」
タイ語ではピーは一般的には自分より年上の人に対する呼称で、お姉さんやお兄さん、学生なら先輩の意味。ノーンはその逆で、妹や弟、後輩ということになります。
そして、ラハットというのは、番号のことなんですが、ここでは自分の出席番号のことで、「ピー・ラハット」というのは、同じクラス番号で同じ出席番号の先輩・後輩ということになります。
娘の学校の場合、高校3年生までいますので、中1の娘にはいきなり5人の自分専用の先輩ができたわけです。
で、実際何をするのか・・・お互いを知っておくことで何かあった時には先輩が後輩を助けてくれる、みたいな感じらしいですが、会うと声をかけてくれたりとか、高校3年生の先輩だと後輩全員誘ってご飯をおごってくれたりとかあったようです。
そういえば、長男も、ピー・ラハットから誘われて頻繁にご飯をごちそうしてもらっていましたし、自分がピーになってからは後輩を誘ってご飯よく食べに行っていました。
娘が中1の時、高校3年生のピー・ラハットが、プーケット出身のごっつい男の先輩で、男子の友達たちが恐れていた存在らしいのですが、娘には優しく接してくれたようです。
- 「ピー」「ノーン」
娘の学校では、面白い制度?があって、先輩がお気に入りの後輩を「私のノーンになってね」と声をかけられ、公言するというのがあったんです。自分の子分みたいな感じ?でも悪い意味とかなくて、先輩・後輩がお互いに助け合う?みたいな感じ?
個人の自由なのでいない人もいるようですが、娘は一つ上の女の先輩から声をかけてもらえました。娘は、「私が半分日本人だったからだよ」と言っていました。娘と同じ学校から行った友達は、中学生だけでなく、高校生からも声を掛けられ、6人くらいのピーがいたそうです。
この「ピー」は娘にとっては一番頼りになる存在だったようです。「ピー」から、お菓子や飲み物を頻繁にもらったり、また誕生日には誕生日プレゼントまでもらいました。なので、娘も同じことを「ピー」にしていました。
自分が中2になるときには、「ノーン」はお金がかかるから自分は作らないと言っていたくせに、実際に後輩が入ってきてからは、「すごくいい子なんだよ~」と言って、男の子と女の子一人ずつ「ノーン」ができ、先輩がしてくれたように、自分も後輩にしてあげてました。うん、確かにお金かかった!
週末の過ごし方
トラン出身の子はたいてい週末は自宅へ帰ります。でも、他県から通っている子は、自宅に帰るよりも親と一緒にトランのホテルへ宿泊するというケースが多いです。この場合は必ず外出・外泊届を出さなければならず、学校を出るとき、また戻るときも必ず制服を着用です。
私も娘が中1の時は頻繁にトランへ1泊していました。中2になってからはミニバスで娘が友達と一緒に帰ってきたりしたので、トランへ行く回数もかなり減なりました。
でも、週末は寮からかなりの人がいなくなるので、静かに過ごせるからいいと娘は言っていました。また、外出・外泊した友達が、何かおいしい食べ物をもって帰ってきてくれると言って喜んでいました。
そして、週末はため込んだ下着や靴下の洗濯をする日でもあります。通常の洗濯は袋に入れて学校が提携しているランドリー会社にまとめてやってもらえるのですが、下着や靴下はさすがに自分で手洗いし、部屋の外にあるベランダに干していました。時々、友達の分と合わせて学校に置いてある洗濯機(ワンコイン洗濯)を先輩がいないスキを見て使ったりもしていたようです。
塾へは、学校の先生がミニバスで連れて行ってくれますが、往復で一回につき50バーツ。学校の制服着用で、塾以外の外出は基本的にだめです。学校を出発する時間は1時間ごとと決まっていますが、終わって迎えに来てほしいときは先生に電話をするそうです。1台のバスに先輩・後輩が混ざっての乗車となり、だいたい4か所くらいの塾のはしごだそうです。
ところが、だんだん慣れてくると、先輩から悪知恵を授かり、塾をさぼってショッピングセンターへ行ったり、映画をみたり、レストランへしゃぶを食べに行ったり・・・
学校以外のテスト
学校で申し込みを受け付けているテストに、TEDET、ナナチャート、ソーウォーオーノー、サマコムカニサットがありました。
TEDET、ナナチャート(一次試験)は学校が試験会場でしたが、ソーウォーオーノーはトランの違う学校が会場、サマコムカニサットはソンクラー県の学校、そしてナナチャートの二次試験はプーケットのポーウォーが会場となります。
ソンクラー、そしてプーケットでのテストでは、テストの前日にそこへ行き、ホテルで一泊!しかも、学校がバスやホテルの手配をしてくれます。そして食事代としてちゃんとお金も支給されました!
娘は中1と中2のとき、サマコムカニサットのテストを受験し、ソンクラーへ遊びに行ったような気分になったそうです。まあ、結果は全然だめだったです。
ナナチャートも、中1と中2の時に、二次試験まで進めプーケットのホテルへ宿泊できたのですが、自宅で寝たいと家に帰ってきました。翌日の会場であるポーウォーには私が送っていき、そこでみんなと合流。
会場で、小学校時代の友達に会っても、お互いに声をかけあうことができず、何となく視線を逸らしてしまって手も振らなかったそうです。そういうもんですかね、このくらいの年齢は。
中2のときは、特に中がいいわけではなかったけれど、クラスの中心的存在だった女の子が、声をかけてくれて走ってきてくれて抱き着かれたって、うれしそうに言ってました。
また、テストが終わった別れ際、私も見送りのために学校に行ったのですが、そのとき、遠くでサッカーをしていた男の子が、大きな声で娘の名前を呼んでくれて手を振ってくれました。私が感動したくらいですから、娘はもっとうれしかったでしょう。
今はインスタでつながっていてもほとんど会話がない小学校時代の同級生たち。
小学生時代の娘はかなりの恥ずかしがりやで人前で踊ったりしゃべったりするのが大嫌いでした。それが、中学生になってそれを克服したことで、以前の自分と違っているからという理由で小学生時代の同級生と自ら距離をとってしまっています。
本当はそんな友達の中に飛び込んでいきたいんだろうなとは思いますが、なかなか難しいですね。
こうして、あっという間に時は過ぎ、最終章(になると思われる)の高校受験へとつづく・・・
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